SERENO (3)

Rose for Dino
Rose for DIno
(c) T.F.

To my one and only, Dino

Dino
ディノは私の宝だった。
私の生きた宝だった。
かわいくて、かわいくて、しかたなかった。
いつか失う日が来るとわかっていたけれど、
それが、突然やってくるなんて、
想像できなかった。

*

動物にはきっと、私達、人間が置き忘れて来た、
大切な本能や予知能力の欠片が残っているのかも知れない。
やってくる自分の「死」を、ちゃんと感じ取る力があるのだろう。

ディノを最後に病院に連れて行くことになったあの日。
ディノは眠っている私を何度も起こそうとしていた。
そうして、私の寝室で一度目の吐血をした。
それは、一目では吐血とはわからない、ピンク色のきれいな液体だったけど、
水を沢山飲んでいたから、ピンク色になっていただけだった。

私は飛び起きて、すぐに後始末をして、そして、受話器を手にした。
病院に電話したけれど、担当医は休日で捕まらず、
代わりに出て来たドクターに状況を説明したら、
もう少し様子を見て、不安だったら救急で連れていらっしゃいと言われた。

ディノは落ち着きなく、部屋の中を歩き回ったり、
あっちに行ったり、こっちに来たりを繰り返していた。
そうして、もう一度、吐いて、じっとしていた。

私は病院に連れていく支度をしながら、ディノを見ていた。
私の中にも、古代の「感」というものが少しは残っていて、
これは、普通じゃない、これは、大変なことだと告げていた。

ディノはまず、好きだった窓辺に登ろうとした。
だけど、足を痛めていて、もう自分では登れず、
私は抱えるようにして、ディノを窓辺に持ち上げた。
そこから見える景色を、ディノは好きだった。
しばらく眺めると、今度は下りて来て、
自分のおもちゃ箱の前で座った。
私が、ひとつひとつ、おもちゃを手に取って見せると、
黙ってそれを見ていた。
いつもなら、私がちょっとでも触っただけで、取り上げようとするのに、
まるで、ひとつひとつに、無言の「さようなら」を言うような眼差しをして。

そうして、今度はソファーに登ろうとした。
そこでバタバタと暴れるのがディノは好きだった。
また私は、ディノを抱えてソファーに置いた。
ディノはその時、私の腕の中に頭を押し付けるようにしてうつむいたまま、
しばらくの間、動かなかった。

そんなことは、今までなかったから、
私は悲しくなって来た。
それはまるで、迫ってくる自分の生命の終わりを感じながらも、
「恐いよ、恐いよ」と私にすがるようでもあったし、
「ごめんね、ごめんね、ひとり残して逝ってしまうけど」と言うようでもあり、
「今までありがとう」と言っているようでもあった。
きっと、それらの全部を、私の腕の中で私に伝えようとしていたのだろう。

その日はとても寒かった。
小雨が降りそうで、犬を乗せてくれるタクシーを待つより、
カーサービスを呼ぼうと思って電話をかけている間に、
ディノは自分でソファーから降りようとして、
ソファーからそのまま落ちてしまい、その音に、私は心臓が止まりそうになった。
ディノはもう、その時点で、ふらふらの状態で、
痛みと言うものすら感じられないほどになっていた。

そして、もう一度吐血して、
それから、また、部屋の中の隅から隅まで歩き回り、
最後にバスルームに行って、バスタブを覗いていた。

バスタブはディノが一番好きな場所だった。
でも、7月に足の手術をしてからずっと、もう、登れなくなって、
それからも、何度も、バスタブの淵にあごを乗せて、中を見ていることが多かった。
ディノはしばらくバスタブの中を見つめて、そして、諦めたように、
それから、動きが止まった。

ディノはきっと、その時、自分が育った部屋のすべての物に、
「さようなら」をしたのだろう。
もう二度と、戻って来れないことを、誰よりもわかっていたのだろう。

私はディノを呼び、首輪をつけた。
ディノは本当ならとても歩ける状態ではなかったのだろうに、
『病院に行こうね、治してもらおうね』という私の言葉を静かに聞いて、
ここのドアを私と一緒に歩いて出て行った。

ディノを失って、私には二つの後悔が残った。

ひとつは、1年前に肝硬変がわかった時、
きっと、残された時間は思うより短いと感じて、
夏になったら車を借りて、ディノを連れてロングアイランドに行こうと、
ペットも泊まれる民宿を探していたのだけど、
夏が来る前に、ディノは足を悪くしてしまって、
遂には実現しなかった。
私は、ディノに海を見せたかった。
ディノは泳いだことが一度もなかったから、思いきり砂浜を駆け、
海の波際で遊ばせたかった。

そして、もうひとつは、
この部屋を出る前に、
もう一度、
ディノをバスタブに入れてあげればよかった。
抱きかかえてでも、入れてあげればよかった。

たった二つしか後悔がないのは変だと思われるかも知れない。
だけど、私は私のすべてで、ディノを大事にしたし、
こころから愛した。
沢山の時間を一緒に過ごし、
一緒に草原を駆け、隠れんぼうをしたり、暴れたり、喧嘩をしたり、
24時間をずっと一緒にいた日も少なくなかった。

私はディノをこころから愛していたけど、
私もまた、ディノからとても愛されていた。

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